Diary

2018/01/22 
山本くんを思い出した
小学生の頃 同じクラスだった山本くんは 絵がうまかった
独特なタッチを持っていて
終始均一な線を 自動書記みたく描き続けると
独特なキャラクターが次々と産まれていった
今思えば どこかマヤ文明なんかに通ずる
呪術的な匂いがあった
僕はその時 写実的な絵を指向していて
フフンと それを横目で見ながら
実は密かに憧れ 才能に嫉妬していた
中学の頃には疎遠になってしまって その後の彼のことは知らないけれど
あの時の山本くんへの憧れが ずっと続いてる気がする
2018/01/13 
テレビ番組は 観ない
テレビデオはあるけれど アンテナからのケーブルは繋げてない
たまに 古いビデオテープを回す
その画質 悪くない
新聞は読まないし ネットニュースも あんまり読みたくない
YouTubeは よく観る
音楽や ドキュメンタリーを
文芸は ほとんど 読まない
田舎の「テレビっ子」で
こうして流行りに接して 世事に疎くなるわけは 俺は将来も無いだろう
と子供心に信じて疑わなかったけれど
案外 数年で 生活は変わってしまうものなり


2018/01/07 
「会話をしようと ボールを投げてるつもりが ずっと石を投げていたと気づいた」
という ある人のブログを読んで
なんだか ちょっと 素敵な表現だと感じた
言葉は 多分 原初 純粋なキャッチボールとしての性格があって
例えば集団で狩りをする時は 連携が大事
「あっちに獲物が!」「今だ!」とか
生死に関わるキャッチボール
それは 誰かを操作する性格も持ってて
いつか 巨きな権力に関わってくる
他面
言葉の快楽は?
音や韻の心地よさや 思考することの快楽性は いつから?
それも 集団でなくて たった独りでの 快楽については?
たとえば 自分のために絵を描き
自分のために音楽を奏でる
ということが おそらく 世界の表現の大部分ではないかと想像するけど
言葉もまた そうした性格が 結構あると思う
鼻歌のように 言葉が自分のために奏でられ 蓄積され
投げることのない石は 時を経るにつれ魅力的な輝きを放つかもしれない
それをそっと見てみたい 誰かが いるかもしれない

2018/01/04 
2018年
音と光は 連なって
楽しい世界へ 益々
過去も未来も 溶け合って
小さな自分も 大きな自分も

2017/10/19 
uzna omom b one での 秋のピアノBGM 次回は 10/28(土)14:00-17:00です
ミュージックチャージ等 はありません 普段通りに カフェをご利用ください
お楽しみにー
さて 今年は ピアノを弾きつつ 絵を沢山 描きまして それらいくつかを文庫サイズの画集にしてみました
もう晩秋ですけど タイトルは「八月」 通販サイト「minne 」で購入できます
送料込 850円
カードが使えるし 案内もちゃんとしてますので 是非 お試しください
それで「なんで描いたのコレ」話をするとですね
自己催眠をかけてみたくなったんですな 今年 6月くらいに
退行催眠 これを自分なりにやる
小さい頃の記憶やら 物事に対しての感じ方 というやつを 再体験してみたかったんです
目を閉じて 小さい頃のセルフイメージを出現させる
イメージだから それは 男の子だったり 女の子だったり ちょっと大人だったりする
そいつに 世界を歩かせる
仮想の幼稚園の帰り道とか
そんな世界も 子供には やっぱり 虚実が重なって 在るわけで
絵に描いてると そのイメージの世界に行き易い
そうすると 段々冒険譚みたくなってきた
酔夢譚 というか
それで それらを纏めて眺めてみたくなった 旅を振り返る気持ち
…と いうわけでした
子供らの顔が 割とボケーっとしてるのは 俺がボケーっとしてるからじゃなしに
世界に対して 判断をしてない頃に戻りたかった ってのがあります
ちょっと笑った顔もあるけど なにが可笑しいんだかは 多分本人もわかってない
… というのを こう書いてると考えるですけど 描いてると あんまり考えてないです 愉しいだけ
あー長かった
宜しく どーぞー

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